線維筋痛症と気功①

太極拳やヨガと同じく瞑想運動の一つである気功もまた、線維筋痛症の症状改善の運動療法として推奨されています。厚生省のウェブサイトや線維筋痛症診療ガイドライン2017にも、その有望性が記されています。私がこのことを知ったのは随分遅かったのですが、ある日近所で気功教室が開かれていることを偶然知り通ってみることにしました。気功教室に通ったのは、整骨院を止め、肩のリハビリに通っていた頃ですが、長い症状改善の道のりの中で一進一退を何度も繰り返しながらも、最終的に劇的な変化が現れたのはこの気功を始めてからです。

気功で疼痛を軽減できますか?
気功の疼痛に対する役割に関する研究は、相反するものです。少数の研究のみを調べた2018年と2019年の3件のレビューでは、気功が地域在住の高齢者(160例)の疼痛、首の痛み(525例)、15歳から80歳の筋骨格系の痛み(1787例)を減らすのに役立つ可能性が示唆されました。しかし、5件の研究(576例)を含む2020年のレビューでは、腰痛や首の痛みに対する気功の鎮痛効果について相反する結果が得られています。
出典:厚生労働省『「統合医療」に係る 情報発信等推進事業』
瞑想的な運動の実践(太極拳、気功、ヨガ)
・中国発祥の太極拳と気功、インド発祥のヨガは、いずれも身体のポーズや動き、呼吸への集中、瞑想やリラクゼーションを組み合わせたものです。これら3つの施術・療法には共通して多くの特徴があるため、瞑想的な運動活動としてグループ化されることもあります。

・運動は線維筋痛症の人にとって有益であり、瞑想的な運動活動は身体活動を伴うため有用である可能性があります。また、これらの施術・療法の瞑想的な要素も役立つ可能性があります。線維筋痛症の症状に対する太極拳、気功、ヨガの個別研究では、有望な結果が得られています。しかし、その効果について明確な結論を出すには、これらの療法について十分な質の高いエビデンスがありません。

・瞑想的な運動活動は、資格を持ったインストラクターの指導の下で行う場合、一般的に安全性に優れています。ヨガ、太極拳、気功の研究では、副作用はほとんど報告されていなません。しかし、これらの施術・療法は、線維筋痛症の人に適したものにするために改変する必要があるかもしれません。
出典:https://www.ejim.ncgg.go.jp/pro/overseas/c05/17.html

そもそも気功を始めるきっかけは、コロナ禍におけるテレワークへの移行でした。テレワークを始めたばかりの頃は、パソコンに向かう時間がぐっと増えたことで線維筋痛症の症状にはやはり負担になりました。それでも、通勤が不要になったことで肉体的負担は減り、自分でコントロールできる時間が増えたことで、自分の体の状態により真摯に向き合う余裕が生まれました。そのおかげか、それまでどの教室にも継続的に通う心身の余裕はなかったのが、この時初めて教室に通ってみようという気持ちになりました。

気功教室に通い始める少し以前の私の生活は混沌としていました。整骨院に通いつつ徐々に改善が見られていたある日、家の廊下でつまずき肩を痛めてしまいました。痛みが消えず病院へ行ったものの、そこで受けた診断が実は誤診で、尚且つそれに基づくリハビリを受けたことで、意識を失うほどの激痛に襲われるまでに痛みが悪化していました。その後、別の病院で以前のは誤診だったことが判明し、別途適切なリハビリを受け随分回復し日常生活は何とか送れるようになっていましたが、1年以上四苦八苦の生活が続きました。

そんな混沌とした日々に少し落ち着きが見られ始めた頃、近所の気功教室の存在を知り見学してみることに。その初日、指定された時間に教室へ行ってみると、指導者以外誰もいません。「あれ、大丈夫?」など思いながらも、90分ほどでしょうか、先生が気功とはどのようなものか実際の動きと一緒に色々紹介してくださいました。その時は効果の程など何も考えず、ただひたすら言われた通りにやってみました。終わってみると、不思議なことに、とても気分が良く心身ともに爽快感さえ感じられたことを覚えています。そこで、とりあえずしばらくやってみることにし、週一で通い始めました。

当時はコロナ禍で他の受講者の方々が教室に来ることを控えており、毎週私一人の特別教室のような感じでした。他の疾患もあるため、運動自体一筋縄ではいかないにも関わらず、先生はどれ一つ疎かにすることなく一つ一つを考慮し、その日の体の状態に合わせてご指導くださいました。最初、具合が悪い時は来ないとお伝えしたところ、具合が悪くても来なさいと言われました。私は、その言葉に少々疑問を持ちましたが、そのお人柄や指導者としての資質は信頼に値するものでしたので、半信半疑ながら具合が少々悪くても参加しました。すると、体調がすぐれなかったはずなのに、私の状態に「調合」した動きが取り入れられたかのように不思議と体がリセットされ、帰り道は何故かエネルギーを取り戻して帰ることができました。

それから最初の1年程は余程の事情がない限り毎週通い続け、色々学んだ動きを毎日できる限り朝晩の運動日課として取り入れました。そうしているうちに、人並みとまではいかないまでも体をより動かせるようになり、日常生活が送りやすくなっていきました。その中で、確実に良い状態にあることを体が何度も経験し覚えることで、悪い状態の時に自分のどこに問題があるのかより客観的に見られるようになりました。この時期になると、日常において、いつ何をして、何をしないほうが良いのかという判断力が以前より身に付いていました。

それまで、ヨガや太極拳、ピラティス、ウォーキングにマッサージ等、あらゆることをしてきましたが、気功ほど自分に合っていたものはないと今でも思います。もちろん、指導の先生が私の体の状態に真摯に向き合いご指導くださったことも大きいですが、それだけではありません。教室では毎回、ただ単に「動く」のではなく、気功の動きと人間の体の仕組みの関係から生きる知恵まで様々なことを学びました。そのおかげで、自分の体質や体調、生活スタイル、気質や考え方の傾向、肉体的性の持つ本質など体調管理に必要な多くのことに対してかなり意識的になり、私自身の見方が根本的に変わったことが大きな要因だと思います。それまでも症状改善を通して色々な気づきを得てきましたが、この時ほどハッとさせられたことはありません。何よりも、それまでの自分の生き方がいかに自分を粗末に扱う生き方だったのかということに気づかされました。そんなつもりは毛頭なくとも、自分を雑に扱い大切なものとして扱っていなかったということに愕然としました。

それまで自分がやってきた改善方法は、ある意味場当たり的な対処法だったかもしれない、そんな風にも思えました。もちろん、それまでの過程に後悔はなく、どれ一つとっても自分の引き出しを増やす大事な自己教育の過程だったと思います。しかしながら、その過程において、私自身がどれだけ自分本来の姿を見ようとしていたのか、本当の自分とはどういう人間なのかちゃんと自分に深く問いかけたのか、それは疑問です。正直、それほど深い考えには及んでいませんでした。痛みやこわばりなど、ある意味自分に「見える」症状のみから判断し、それを何とかすることばかり考えて、本来の自分の姿、自分が自分であるために何をどうすべきなのかという自己回帰的な部分は考えておらず、洞察力に欠けていました。

今は以前と違い、本当は自分は何をどうしたいのか、どんな生き方をし、どのような最期を迎えたいのか、常に問い続けることで自分の病気に対する向き合い方に活かしています。自分が望む生と死の在り方を見つめることで、自分本来の姿を見つめ直し、自己改善方法についての答えを出します。それが病の症状と何の関係があるのかと思われるかもしれませんが、病には何かしらの意味があると私は感じています。自分の本来の姿、つまり自然体の自分から乖離した自分を生きた時、その不自然さが病として現れることがあるのではないか、そんな風にも思うのです。

症状改善の道のりは自分探しの旅。本来の自分のあるがままを知り、それを取り戻す。そんな自己回帰の過程であるとも思います。「痛み」を伴う旅ですが、自分本来の姿に辿り着いたその先に何があるのか、そんなことを考えながら前を向いて歩いてみるのも悪くないのではないでしょうか。

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