―診断後―
ようやく診断が下り仕事もセーブ気味にしていたそんな時期、再び仕事で体を酷使するような状況が再びやってきました。この時、自分では体を酷使するという認識はそれほどありませんでしたが、今思えば、実はこの頃既に色々な随伴症状が徐々に出始めていました。 しかし、線維筋痛症の随伴症状についてはそれほど積極的に自分で調べたりしていなかったので、そこには気づかず痛みやこわばりの軽減だけで状態を判断していました。
私の場合、元来痛みに対する抵抗力が強く、かなりの痛みでも精神的には我慢することができるのですが、その分体のほうは一層の悲鳴をあげていたと思います。 痛いけどやる。大丈夫。 無意識にそんなことを思っていたかもしれません。 こうして見ると、気持ちばかりで体の声には聞く耳持たずで、学習能力が全然ないなと自分でも思うほどです。変な言い方ですが、せっかく体が悲鳴をあげて痛みという形で警笛を鳴らしてくれているのに、私の意識のほうはそちらに十分な関心を払っていませんでした。 今となっては、そんな自分に呆れてしまいますが、これがその他多くの随伴症状として数年後出てくるとは、この頃全く予想していませんでした。
この頃はまだ痛みに襲われると同時にこわばりがあるという状態が大半ではあったように思います。 しかし、今振り返ればですが、色々な随伴症状が顔を出し始めていたこの時期ぐらいから体のこわばりは一層激しくなっていっていました。 ただ、線維筋痛症で体がそれほどまでにこわばることを私は当時あまり認識しておらず、どちらかというと痛みのほうに意識が行っていたように思います。 それでもこわばりが激しいと体の動きが鈍く、色々と動作に支障が出ます。 それから2年程経った頃でしょうか、このこわばりを少しでも改善するため何かできないかと整体へ行ってみることにしました。
最初の診察では体全体の骨格の状態を見てくださいました。大きな紙のようなものに直立した状態の私の体の形を見せられた時、思わずえっ?と思いました。痛みを庇うように生活していた上に、こわばった状態を何年も続けていたせいで体は全く真っ直ぐに立っておらず、どこかの抽象絵画かと思わんばかりの姿でした。その時の私は、90歳ぐらいの状態ですと言われました。 それからは週2回程整体に通って、首や背中を中心に施術をしてもらいました。 この時も揉み返しが結構あったのですが、以前ほどではないこともあって、リンパマッサージと並行して定期的に通っていました。
この頃になると、椅子に座ってもますます悪化する、荷物を持っても悪化する、なんにしても外的刺激でこわばりと痛みが増すという何とも言えない状態でした。 とは言え、仕事のほうは相変わらずで、今思えば根本的には何も変わらず、結局どこか場当たり的対処をして無駄に苦しんでいたように思います。 この頃からの数年間は再び痛みとこわばりとの闘いで、動画を使ってヨガ、ピラティス、太極拳をやってみたり、ウォーキング、マッサージをやってみたりと色々なことをし続けました。それに加えて、特にパソコンをする際の椅子はあれこれ試してはあれもこれもダメの状態で、物を持ったり取り出したりすることさえ上手くできなくなっていました。 この時期には、関節痛、口内炎、膀胱炎、耳管開放症等々他の様々な症状がかなり強く出るようになっていました。
そんな日々を過ごしていた時です。 新型コロナで仕事がオンラインになりました。 最初の頃はオンライン化に色々手がかかり、症状云々は別に線維筋痛症について色々考える余裕はあまりなく、あっという間に時が過ぎていきました。 それでも在宅での仕事になったことで、体のコントロールがしやすくなり、症状はあっても以前よりずっと快適に過ごせるようになりました。 ふと仕事が一段落したそんなある日、すぐ近所で気功教室が行われていることを知りました。 この頃は前よりは線維筋痛症について調べていたので、気功も推奨されている運動の一つと知っていて興味がわきました1)2)。 そこで、とりあえず気功とはなんぞやと全く知らない状態でしたが、行ってみることに。 実は最初は半信半疑でしたが、私にとってはこれが結構運命的な出会いとなります。
【参考文献】
1)厚生労働省eJIM | 線維筋痛症 | 各種疾患 | 医療関係者の方へ | 「統合医療」情報発信サイト (ncgg.go.jp)
2)厚生労働省eJIM | 気功 | 各種施術・療法 | 一般の方へ | 「統合医療」情報発信サイト (ncgg.go.jp)