「上虚下実(じょうきょかじつ)」。この言葉をご存じでしょうか。これは東洋医学における言葉で、上半身はゆったり脱力していて虚しい状態に、下半身はどっしりと安定させて充実させることを意味します。東洋医学では、この上虚下実という言葉が表すように、下半身に気が充実していることが健康の基本とされ、それこそが自然体であると考えます。
私がこの言葉を知ったのは整骨院通いも終盤の頃だったと思いますが、それ以前の私は上虚下実とは完全真逆の状態でした。特に上半身は痛みや異様なこわばりで常に緊張状態で、いつも思うように動かせず、下半身はそれを何とか補おうと常にどこか体全体が不安定でぎくしゃくしているような感じでした。しかしながら、それが当たり前となっていた頃は、何も意識せずその不安定さや緊張状態さえ不自然とは感じず「普通」の状態と認識していました。整骨院で体の歪みを自覚して以降意識は変わったものの、結局、体は常に自然体とは程遠い「不自然体」であったと言えます。
日常的痛みがなくなった今もそれは残っています。10年以上に渡る痛みで体は緊張している状態を覚えてしまっていますから、どうしてもその状態に戻ろうとします。なぜ体が勝手にそう反応するのかはわかりません。その不自然さが普通の状態だと脳あるいは体が覚えてしまっているのか、ふとした時に緊張が戻ってこようとすることがあります。そこで、体や脳に緊張状態を少しでも忘れて「自然体」を覚えてもらうために取り入れている気功の動きの一つがあります。それが「スワイショウ」です。
スワイショウとは「手を捨てる」という意味の手振り運動のことです。私がスワイショウの動きを教わったのは気功教室ですが、気功教室でこの動きを習った時、ふとこの上虚下実という言葉を思い出し、日々の運動として取り入れるようになりました。体が緊張状態になろうとしていると感じた時、あるいはパソコンに向かって作業をした後、体に合わない椅子に座った後など、体が「不自然さ」を感じた時は特にやっています。他のどの運動もしたくない気分の時でも、何もしない状態を避けるため、空いた時間にぶらぶらと4~5分程度やることもあります。
【スワイショウと上虚下実】
実際、スワイショウを日々の運動として取り入れ始めて2年ほどになりますが、以前の緊張状態は随分改善されました。まだまだ改善の余地はありますが、以前よりずっとリラックスできているのを感じます。私の場合、普段は気功教室で学んだ方法でしていますが、時折動画でも確認しています(下記参照)。
私は、至極簡単なタイプのものを体調によって大体3分から5分、すごく調子がいい時だと10分ぐらのんびりすることもあります。スワイショウの動画は色々出ていますが、体調が良い時に少し(自分には)挑戦的なものも試してみたくなって下記の動画もやってみたのですが、結構痛みが出て私には無理でした。これぐらいのものもいつか出来ればいいなと思ってはいますが、客観的にどれが良い悪いではなく、その都度自分の体の状態に合わせて一番心地よく感じられるものを探すのが良いと思います。
線維筋痛症の症状改善はなかなか厄介で、長く紆余曲折の道を辿ってきました。しかしながら、完治しない病気であっても常に「自然体」の自分でいられるようにすることを今は大事にしています。そんな風に考えるようになったら、自然と日常の中で自分が知らず知らずのうちにやっていた「不自然」なことに気づくようになりました。仕事、人間関係、生活習慣等々、日常の様々な場面で何となく違和感を覚えたり、不自然に感じるようなことは極力改善していきました。そうしていくうちに、随分心も体も楽になったような気がします。生きていく上で日常の些細なストレスはつきものです。それでも自分が「自然体」でいるためには何ができるのか、何をしたほうがよいのか、何をしないほうがよいのかを考えます。運動やその他色々な方策は自分が自然体でいるための一つの手段です。
禅語に「眼横鼻直(がんのうびちょく)」という言葉があります。ありのままの姿をありのままに受け入れるというような意味なのですが、「自然体」について思いを巡らす時、私はこの言葉を思い出します。大切なことは、体の自然体だけでなく心身共に自然体であることです。自分に無理を強いていないか、自分を無駄に大きく見せようとしたり良くみせようとしたりしていないか、心にもないことを言っていないか、色々自問自答で「不自然」な自分にならないようにしています。心の在り方の不自然さが症状改善の障害となることがあるからです。社会の波の中ではそんな不自然さも自分の一部となりがちですが、それでも自分のありのままの姿で心身共に自然体でいたいと思っています。
症状改善の道は、病気やその病状ばかりに目を向けるのではなく、様々な手段を用いて肉体と精神その両方から本来の自分を取り戻していく自己回帰の作業でもあるのかもしれません。